沿革
浜松委托倉庫百三十年の歴史をご紹介します。
浜松委托倉庫百三十年の歴史
1889(明治22)年 | 浜松市鍛冶町124番地に浜松委托株式会社創立(登記明治23年) 初代社長:伊東磯平治 営業内容:農産品(米麦雑穀・生姜・へちま等)、繭の取引 農産品等を保管する倉庫業 農産品等の取引に担保する金融業 後に綿糸部を設ける |
1918(大正7)年 | 米騒動で暴徒が侵入。社員一同避難し事なきを得た。 |
1922(大正11)年 | 商法改正にあたり商業部と金融部を分立 新たに「浜松委托 株式会社」を起こす(現在大正11年6月が登記上の設立) 倉庫部・米雑穀部・精米部 金融部は「株式会社 浜松商業銀行」として独立、後に安田銀行浜松支店と併合、その後富士銀行浜松支店となる。(現在みずほ銀行浜松支店) |
1932(昭和7)年 | 一時廃業していた綿糸部復活 石炭部新設 |
1936(昭和11)年 | 土蔵造りの新社屋完成(現マルHビルの場所) |
1937(昭和12)年 | 米穀部が浜松米穀小売商業組合に合流 食料営団となる綿糸部が静岡県綿糸卸商業組合に統合 |
1940(昭和15)年 | 運送部が日本通運に統合 石炭部が石炭販売統制会社に吸収 倉庫部と精麦部のみとなる |
1945(昭和20)年 | 米軍B29の大空襲により、弊社の建物一物残さず焼失 製麦工場を建設し、麦の政府委託加工を開始 |
1952(昭和27)年 | マツダの自動三輪車導入 |
1957(昭和32)年 | 精麦業廃止 政府食糧米と繊維を主体とした普通倉庫業のみとなる 社名を浜松委托倉庫株式会社に改称 |
1961(昭和36)年6月 | 浜松市鍛冶町にマルHビル完成 |
1968(昭和43)年8月 | 政府米の保管に対応すべく浅田倉庫建設 |
1973(昭和48)年5月 | 流通元町コールドセンター(冷凍倉庫)を建築 |
1976(昭和51)年10月 | 流通元町コールドセンターに低温倉庫建築 |
1989(平成元)年 | 創業100周年を迎える |
1995(平成7)年11月 | 米津コールドセンター(冷蔵・冷凍倉庫)を建築(認可中部第67号) |
1999(平成11)年2月 | 浜松市区画整理事業により普通倉庫を移転 浅田物流センター建築(認可中部第2003号) |
2007(平成19)年4月 | 米津センター建築 出荷代行業を開始 |
2009(平成21)年2月 | 流通元町コールドセンターに製氷工場設立 「ソーラーアイス」の販売開始 |
2018(平成30年)2月 | 米津コールドセンターで脱フロン自然冷媒(CO2単体冷媒)の冷凍機を導入 |
2019(平成31)年4月 | 保険代理業を三井住友火災海上保険株式会社出資の保険代理店に譲渡 |
2019(令和元)年 | 創業130周年を迎える |
2020(令和2)年12月 | 製氷事業で脱フロン自然冷媒(CO2単体冷媒)の冷凍機を導入 |
2021(令和3)年5月 | sedex サプライヤー会員に加入 |